歴史年表
大森時代
城主 | 年号 | 西暦 | 事項 |
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大森頼春 大森憲頼 |
応永24 | 1417 | 上杉禅秀の乱後、関東公方足利持氏が小田原周辺の領地を駿河(静岡県)の大森頼春に与える |
大森実頼 大森氏頼 |
享徳3 | 1454 | 享徳の乱が始まる(関東公方と関東管領が戦う) この頃、八幡山に小田原城築城か |
後北条時代
城主 | 年号 | 西暦 | 事項 |
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伊勢宗瑞 (北条早雲) |
明応4 | 1495 | 伊勢宗瑞 大森藤頼から小田原城を奪う(明応2年説、明応から永正2年(1505) までの間までの特定ができないという説もある) |
永正13 | 1516 | 伊勢宗瑞 新井城を攻め三浦氏を滅ぼし、相模を平定する | |
北条氏綱 | 永正15 | 1518 |
氏綱 父の伊勢宗瑞から家督を継承 伊勢氏の本拠が小田原に移る |
大永3 | 1523 | 氏綱 名字を伊勢から北条に変える | |
大永4 | 1524 |
扇谷 上杉朝興を破り江戸城を奪取する この頃本丸・御用米曲輪・二の丸が成立 |
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北条氏康 | 天文10 | 1541 | 氏綱死去し、氏康家督を相続する |
天文15 | 1546 | 河越合戦により扇谷上杉氏滅亡する | |
天文20 | 1551 | 京都南禅寺の僧・東嶺智旺小田原に立ち寄り「大守の塁は喬木森々、高館は巨麗にして、三方に大池あり池水人湛々として、浅深はかるべからずと記す | |
北条氏政 | 永禄2 | 1559 | 氏政、家督を相続する |
永禄4 | 1561 | 長尾景虎(上杉謙信)が小田原城蓮池を攻め、城下に放火する | |
永禄12 | 1569 |
武田信玄が小田原城を攻め、城下に放火する 小田原城普請のため人夫を徴収 この頃三の丸外郭の普請に着手 |
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北条氏直 | 天正1 | 1573 | 氏直家督を相続する |
天正12 | 1584 |
小田原城三の丸新堀普請を進める 武蔵・相模の諸城を修築 大量の材木を調達 |
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天正15 | 1587 |
豊臣秀吉「関東・奥羽惣無事を発し、私戦の禁止、北条氏に臣従を促す 相模以外からも人夫を動員し、小田原城の大修築(相府大普請) |
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天正17 | 1589 |
上野真田領の名胡桃城を奪取する 豊臣秀吉 氏直に宣戦布告 小田原城の大修築総構の構築 |
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天正18 | 1590 |
総構が完成 豊臣秀吉が小田原城を囲み、石垣山城を築く 小田原城が開城する 氏政は切腹、氏直は高野山へ(翌年赦免) |
前期大久保
城主 | 年号 | 西暦 | 事項 |
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大久保忠世 | 天正18 | 1590 | 4万5千石で城主となる |
大久保忠隣 | 文禄3 | 1594 |
6万5千石で跡を継ぐ この頃小田原城を改修(石垣、瓦を使用) |
慶長19 | 1614 | 忠隣が改易となり、二の丸・三の丸の石垣・城門が破壊される |
番城時代
城主 | 年号 | 西暦 | 事項 |
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慶長19 | 1614 | 小田原城は番城となる | |
阿部正次 | 元和5 | 1619 | 阿部正次 5万石で城主となる |
元和9 | 1623 | 再び城代を置く(近藤秀用、高木正成) | |
寛永2 | 小田原城を秀忠の隠居城とする計画が持ち上がる |
稲葉時代
城主 | 年号 | 西暦 | 事項 |
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稲葉正勝 | 寛永9 | 1632 | 8万5千石で城主となる |
稲葉正則 | 寛永10 | 1633 | 1月、駿豆相大地震により小田原城に被害 |
寛永11 | 1634 |
小田原城の公儀普請に着手 各所に改造を加える |
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寛永20 | 1643 | 大手・二の丸・馬屋曲輸の櫓の建造及び天守新築の許可が出る | |
寛文12 | 1672 | 小田原城近世化の最終的な計画がなされ、箱根口門、馬出門などの桝形変更や曲輪 石垣積み足しが行なわれる | |
延宝3 | 1675 | 小田原城近世化工事が完了する |
後期大久保時代
城主 | 年号 | 西暦 | 事項 |
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大久保忠朝 | 貞享3 | 1686 | |
大久保忠増 | 佐倉から10万3千石で入封 | ||
元禄15 | 1702 |
曲輸の名称を変更 この頃宮内庁図成立 |
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元禄16 | 1703 |
南関東駿豆地震 石垣が崩れ、天守等が類焼 |
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宝永3 | 1706 | 小田原城の修復が完成 | |
宝永4 | 1707 |
富士山が噴火して火山灰が降下 小田原藩内に甚大な被害 |
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大久保忠方 | |||
大久保忠興 | |||
大久保忠由 | |||
大久保忠顕 | |||
天明2 | 1782 |
武相大地震 天守が傾き石垣が崩れる |
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大久保忠真 | |||
文化14 | 1817 |
小田原城下に大火 住吉橋が類焼 |
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大久保忠懇 | |||
天保14 | 1843 | 天保地震 | |
嘉永3 | 1850 | 韮山代官江川英竜の指導で海岸に台場を築く(嘉永5年完成) | |
忠礼 | 嘉永6 | 1853 |
嘉永大地震 城の各所に被害 |
廃城後
城主 | 年号 | 西暦 | 事項 |
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大久保忠良 | 明治3 | 1870 |
小田原城が廃城となる 天守閣は払い下げられ解体 |
明治6 | 1873 | 二の丸と山地部の一部が陸軍省所轄になる | |
明治23 | 1890 | 小田原城跡が陸軍省より元藩主大久保氏に払い下げになる | |
明治24 | 1891 | 大久保氏に払い下げとなった城跡のうち、小田原町が12町歩余を買受け、残り6町歩余を借受ける | |
明治34 | 1901 |
小田原城内に御用邸が落成する この頃御用邸図が成立 |
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大正9 | 1920 | 熱海線(東海道線)の線路により、本丸・二の丸と八幡山が分断 | |
大正12 | 1923 |
関東大震災 天守台、本丸、二の丸の石垣が崩落 |
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昭和3 | 1928 | 住吉堀を埋め立てる | |
昭和4 | 1929 | 県立小田原高等女学校が二の丸に建つ | |
昭和7 | 1932 | 二の丸の石垣復旧工事が完成 | |
昭和9 | 1934 | 隅櫓を再建する | |
昭和13 | 1938 |
第1次史跡指定(二の丸、総構の一部) 南曲輪の一部を積み上げる |
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昭和25 | 1950 | 本丸、扉風岩に動物園、遊園地が完成する | |
昭和28 | 1953 | 天守台石積み工事が完成する | |
昭和34 | 1959 |
第2次史跡指定(本丸、二の丸、蓮上院土塁) 史跡石垣山が国指定を受ける |
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昭和35 | 1960 | 天守閣再建 | |
昭和38 | 1963 | 常盤木門の石積み完成する | |
昭和46 | 1971 | 常盤木門再建 | |
平成元 | 1989 | 住吉橋復元 | |
平成9 | 1997 | 銅門復元 | |
平成17 | 2005 | 馬出門復元着手 | |
平成21 | 2009 | 馬出門復元 | |
平成23 | 2011 | 馬屋曲輪整備 |